Ch. Pape Clement [2010] Graves

$259.99

シャトー・パプ・クレマン [2010] グラーブ

パーカー100点 赤白ともに100点を得ているのはこことオー・ブリオンのみ!

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商品コード: 230719-3 カテゴリー: タグ:

説明

赤白ともにパーカー100点をゲットしている2つのシャトーの1つ

ロバート・パーカーはシャトー・パプ・クレマンの2009年の白と2010年の赤に100点満点を献上していますが、ボルドーのシャトーで白・赤両方で100点満点を獲得した事があるのは、シャトー・オー・ブリオンとパプ・クレマン、この2シャトーだけです。

パーカーのコメント(100点)
「私の2010年パプ・クレマンのバレル試飲はおそらく過小評価で、93-95 +に過ぎなかった(最後にプラス(+)を付けておいた事を神に感謝しなくては!) 。その後ボルドーで4回飲んだが、うち3回はパーフェクトポイント、あとの1回は99点と評価した。最終ブレンドは51%メルロー、47.5%カベルネ・ソーヴィニヨン、1.5%プティ・ヴェルドで、完璧なブレンドだったと言うしかない。天然アルコール度数は14.5%に達し8,000ケースが生産された。

崇高なエレガンス、パワー、ミディアムからフルボディのテクスチャー、シルキーなタンニン、かすかなスモークのノート、鉛筆の削りくず、ブラックカラント、チャコール、クスノキ、 ブルーベリーとカシス・フルーツ、これらが全てハッキリと分かる。濃厚でフルスロットルのワインだが、エレガンスとパプ・クレマンの素晴らしいテロワールが豊富に息づいている。

2005年ヴィンテージ(99点)と比較すると、同程度の熟成期間では、2009年の方がわずかに熟成が進んでいるが、さらなるニュアンスが出てくるにはきっともう5〜7年が必要で、それは間違いなく起こるだろう。このワインは30年から40年以上生き続ける。

他のどんな性質よりもまず高品質であることにフォーカスして帝国を築き上げた所有者ベルナール・マグレに称賛を!」

ローマ教皇クレマン5世由来のシャトー

シャトー・パプ・クレマンは1309年、ローマ教皇庁をローマから南仏のアヴィニヨンに移転した事で知られる教皇クレマン(クレメンス)5世が最初の所有者として知られるボルドーのシャトーです。

聖職者だったベルトラン・ド・ゴは1299年、35歳の時にボルドーの大司教に就任すると、その際ローマ法王から領地として与えられたのがペサック地区モットというブドウ畑で、そこが後にパプ・クレマンのシャトーとなりました。ベルトランはそこの畑から当時の最先端設備でワインを造っていました。その6年後の1305年、教皇ブノワ11世が崩御した為、民主的な会議(コンクラーベ)により、ベルトラン・ド・ゴが新教皇「クレマン5世」に選出されました。

クレマン5世は移転先のアヴィニヨン近郊でもワイン造りにいそしみ、そこで出来たワインは現在は「シャトーヌフ・デュ・パプ」として知られています。実にワインと縁のある教皇でした。

パーカーはその著書の中でパプ・クレマンを以下のように評しています。

シャトー・パプ・クレマン(ロバート・パーカー著「ボルドー第4版」より)

「ボルドーにおいて最も古いシャトーとブドウ畑の1つを有するパプ・クレマンは、ペサック近郊の有名なシャトー・オー=ブリオンから数㎞のところに位置している。歴史的には、パプ・クレマンはボルドー地域の最も重要なシャトーの1つであった。もともとの所有者の1人、ベルトラン・ド・ゴは1299年にこの田舎の地所を買い取り、その6年後に法王クレマン五世となった。教皇の座を陽光のまぶしい、神聖なプロヴァンスの町、アヴィニョンに移すという彼の大胆な決定は、フランス人に称賛された。この歴史上の一時期は「バビロン捕囚」として知られ、アヴィニョンの外にあるシャトーでクレマン五世によってつくられたワイン、シャトーヌフ・デュ・パプという名とともに人々に記憶されている。クレマン五世はアヴィニョンにとどまり、パプ・クレマンの畑を教会に譲り渡し、そこはフランス革命のさなかに剥奪されるまでは、誰に邪魔されることもなく営みを続けていた。

1937年の凶暴な嵐のような雹で完全に打ちのめされてしまったブドウ畑は、1939年にこのシャトーを購入した、卓越した農業工学者であったポール・モンターニュによってよみがえった。現在、シャトーは故モンターニュの相続人が管理しており、運営は、ベルナール・マグレが担い、多大な情熱とエネルギーを注ぎ込んでいる。

1950年代、1960年代、そして1970年代初めにはパプ・クレマンの品質を疑う者などいなかったのだが、細部への注意不足や、設備への投資を怠ったことから、1975年以降、質の低下が深刻なものとなった。その後の10年にこのシャトーがつくったワインはしばしばカビ臭く、新鮮さに欠け、早い話が出来の悪いものだった。

貧弱から凡庸なワインが続いたが、それは1985年、若くて熱心なベルナール・プジョルが雇い入れられて終わりを告げた。プジョルには、パプ・クレマンの品質を復活させるための全責任が与えられ、その最初の結果が深遠なる1986年に表れた後は、偉大なオー=ブリオンやラ・ミッション・オー=ブリオンに近づき、肩を並べるほどになってきている。プジョルは1990年代の後半に辞し、ベルナール・マグレは聡明なワイン醸造コンサルタント、ミシェル・ロランを雇った。

パプ・クレマンは極度に軽い、砂利質の土壌の上にあり、よくできたときには魅惑的で抗しがたいブーケがあり、タバコとミネラルの強い香りと混じり合ったたっぷりとした黒系果実の香りがする。メルロの割合が比較的高いため、ごく若いうちから飲めるし、最高のヴィンテージには数十年間熟成し続けるものもある。1980年代後半の5年でパプ・クレマンはボルドーの花形の1つになり、2001年、2000年、1998年、1996年、1990年、1988年、1986年といった深遠なワインを生み出した。

彼らの品質への新たなこだわりは、希少な白ワイン用の畑の割合が増加していることでもわかる。昔はごくごくわずかな生産量(通常100ケース以下)はシャトー専用であったが、今は600ケース近い白ワインをつくっている。手短に言えば、ここはボルドーのスーパースター・シャトーの仲間入りをしたのである。

~一般的な評価~
骨の髄までエレガントで、複雑で、ボルドーの中でも最も独特なワインであるパプ・クレマンは、1986年のヴィンテージ以降、とりわけベルナール・マグレがこのシャトーを手に入れてからは絶好調である。マグレは、1990年代後半以降のヴィンテージが実証しているように、このシャトーをボルドーの最高レベルに押し上げようと、懸命にあらゆる努力をしている。抜け目のない愛好家ならぜひとも買うべきワインである。

ラベル、キャップ、液面(コルク下1.5センチ)の状態は良好です。

 

以下余談ですが、教皇庁のアヴィニヨン移転(教皇のバビロン捕囚)は、当時のフランス王フィリップ4世(イケメンとして有名で端麗王と呼ばれていました)が、毛織物産業で豊かだったフランドル地方を自分の勢力下に置こうと侵攻したことがきっかけです(ロシアのウクライナ侵攻みたいなものです)。その戦費調達のために教会に課税しようとしてローマ教皇庁と激突しました(信長と比叡山延暦寺との関係みたいなものです)。フィリップ4世は当時の教皇をイタリアの小村アナーニで捕まえて幽閉してしまいます(アナーニ事件)。この事件をきっかけにフィリップ4世がローマ教皇庁に対して優勢となっていきます。

強大な権力を有したフィリップ4世は新しく教皇となったクレマン5世に圧力をかけ、ついには教皇庁をローマから南仏のアヴィニヨンに移転させてしまいます。フランス国内ではこの移転は大歓迎されました。クレマン5世がフランス人だった事もあり、その後のローマ教皇庁にはフィリップ4世の意向が強く働くようになりました。結局クレマン5世はローマ教皇になったにもかかわらず、一度もローマの教皇庁に入る事なく生涯を終えました。アヴィニヨン捕囚以降、教皇権力の衰退と王権の伸張がトレンドとなり、近世の絶対王政に至ることとなりました。日本では鎌倉時代後期にあたり、後醍醐天皇が即位していた頃の話です。

 
2019年に訪問した時の教皇庁跡。ずっと修復が続いていますが、まだ荒廃していた頃の名残があり、中もがらんどうでした。

追加情報

重さ 1 kg