説明
オレゴン史上、最高のピノ・ノアールが登場!
オレゴンはピノ・ノアールの産地としてワールドクラスのワインを多数生み出してきました。しかしこれまでパーカーが98点を献上したワインは多数ありましたが、史上初の99点に到達したのがこのザ・アイリー・ヴィンヤーズのピノ・ノアール・ダフィン2018年です。
WA誌のコメント(99点) グラスに注がれた淡いルビー色のワインは、野生のベリー、グレープフルーツ、オレンジの皮、アニスの実、砕いたコショウ、茶葉、花のようなポプリの独特の香りを持つ。 口に含むと非常に凝縮感があり、香り高いが重さを感じさせないこのワインは、さわやかな酸味の花火がはじけ、いつまでも長く続く余韻を誇っている。 ウィラメット・ヴァレーの2018年ヴィンテージではまさしく最高のピノ・ノアールだ。」 |
ザ・アイリー・ヴィンヤーズ
ジ・アイリー・ヴィンヤーズ創設者デイヴィッド・レットは、オレゴン州ウィラメット・ヴァレーに初めてピノを植えたパイオニアとして、オレゴンワインの象徴的人物です。
シカゴで生まれ、ユタ州ソルトレイク・シティで育ったデイヴィッドは大学で哲学を学んだ後、歯科医になるつもりでしたが、ある夏、ナパ・ヴァレーを訪れた際にワインの世界に惹かれ、ワインメーキングの道へ進むことを決意しました。
1964年、25歳でUCデイヴィス校を卒業したデイヴィッドは、在学中に授業で口にしたピノ・ノアールに強いインスピレーションを受け、ピノに適した産地を知るためヨーロッパへ渡り、ブルゴーニュとアルザスの生産者を尋ね廻りました。
帰国後、『ピノノワールを植えるのに最も適した産地は温暖で冷涼なオレゴンだ』と確信したデイヴィッドは、UCデイヴィス校教授陣の「オレゴン州はブドウ栽培に不向きである」という助言をよそに、同年の暮れに後に妻となるダイアナと3,000本のブドウの挿し木を携えてカリフォルニアからオレゴンへと向かいました。
翌1965年、ダンディー・ヒルズに南斜面となった緩やかな丘陵地のある理想的な9haの土地を見つけ、そこにナパ・ヴァレーの畑とUCデイヴィス校からかき集めたピノとピノ・グリ、シャルドネの挿し木を植えました。これがウィラメット・ヴァレーにおける初めてのピノノワールの植え付けで、ピノ・グリはアメリカ初の植え付けとなりました。
1979年ワインオリンピックでの世界的快挙
70年代はまだ無名のオレゴンワインを世界に知らしめるきっかけとなったのがジ・アイリー・ヴィンヤーズでした。1979年、仏グルメ誌ゴー・ミヨが世界各国のワインを集めてパリで開催したワイン・オリンピックのピノ・ノアール部門でのブラインド試飲で、1975年ジ・アイリー・ピノ・ノアール(現サウス・ブロック・リザーヴ)が10位に入賞したのです。これがきっかけとなりオレゴン・ピノの存在が世界へ知れ渡りました。
さらにワイン・オリンピックでの結果に疑いをもったブルゴーニュの有名メゾンのジョセフ・ドルーアン社が翌年の1980年に、同社の手掛けるグラン・クリュ、プルミエ・クリュクラスのピノ・ノアールとシャルドネを集め、ブラインド試飲の再試合を行ったのです。しかしそこでもジ・アイリー・ヴィンヤーズの同ワインが1位のシャンボール=ミュジニィにわずか0.2ポイント差で2位という結果を出し、アイリーは確固たる真価が認められました。
この時の結果に影響を受けたドルーアンは、デイヴィッド・レットらと交流を深め、のちにオレゴンにドメーヌ・ドルーアン・オレゴンを設立しました。
ラベル、キャップ、液面(コルク下0.3センチ)の状態は良好です。