説明
ナポレオンに愛されたジャクソン
メーミー・ジャクソンが1798年にシャロン・シュル・マルヌにシャンパン・ハウスを開いたのはとてもタイミングがよかったとされています。
この頃はナポレオンが華々しく台頭した時代で、東欧への数度の遠征では、ジャクソンのシャンパーニュを買い入れておくためにシャロン村に立ち寄るのがナポレオンのお気に入りのコースだったと言われています。またナポレオンは自分の結婚式でもこのシャンパンを用意しゲストに振る舞ったそうです。
その後皇帝となったナポレオンからジャクソンは「メダイユ・ドール(金メダル)」を献上されその栄誉を称えられました。今日でもジャクソンはメゾンの紋章としてナポレオンのシンボルである「鷹と王冠」を掲げています。
創業者メミーの息子、アドルフが家業を継いでからはジャクソンでは数多くの新技術が導入され19世紀のシャンパーニュ造りに大きく貢献しました。実は今では当たり前となっていますが、シャンパーニュ独自のマッシュルーム型のコルクを押える留め金(ミュズレ)とキャップシールはジャクソンが発明したものです。それ以前はコルクは糸で瓶に縛り付けてあったため湿気で糸が切れたり、ネズミにかじられたりと衛生面での問題もありました。
またシャロンの化学者であったジャン・パティスタフランセーズに助言をして“糖度濃度の測定法”を定式化させてビンの破裂率を25%から4%に激減させることによりシャンパーニュ造りのビジネスを安定化させました。現代にも大きな影響を与えている19世紀のシャンパン造りの技術的リーダーと言えます。シャンパンの歴史を牽引し常にその先を求めて試行錯誤をしてきたことがジャクソンのアイデンティティなのです。
名門「クリュッグ」とジャクソンの関係
現在高級シャンパンの代表格であるクリュッグの創始者ヨハン・ヨーゼフ・クリュッグも実はジャクソンで修業を積みました。ジャクソンの哲学に大きく影響を受けたクリュッグが一切妥協せずに品質を追い求めるのも納得できます。
ラベル、キャップ、液面の状態は良好です。