説明
カリスマのオーナー、ディディエ・ダグノー氏は2008年9月に自ら運転する軽飛行機事故で不慮の死を遂げました。そのため彼が造っていた2007年以前のヴィンテージは値上がりが激しく、レアなアイテムとなっています。
アンリファン・テリーブル
「アンリファン・テリーブル」(恐るべき子供)とはフランスで若い革新的なワイン生産者に使う言葉ですが、サンテミリオンの「ジャン=リュック・テュヌヴァン」、シャンパーニュの「ジャック・セロス」らと共にロワールのプイィ・フュメの造り手でそう呼ばれているのがこのディディエ・ダグノーです。
ダグノーはそれまで早飲みが当たり前だったプイィ・フュメの世界に常識を覆す超熟型のワインを生み出しました。
しかしプイィ・フュメの魔術師ダグノー氏は2008年9月フランス南西部ドルドーニュ地方でウルトラ・ライト・エアプレーンと呼ばれる超軽量の飛行機を自身で操縦中に、離陸時の何らかのトラブルで墜落し、わずか52歳という若さで帰らぬ人となり、シャトーはダグノー氏の4人の子供らに引き継がれました。
自分の運転する飛行機事故での死亡というのも劇的な死に方ですが、ワイン造りのスタイルも全く型破りでした。ワイン造りのスタートは1982年ですが、全く経験のない状態から、故アンリ・ジャイエ氏の影響を受け、超低収量、手摘みによる収穫、区画ごとのボトリング、小樽での発酵など意欲的なワイン造りを行いました。
ローヌの異才、アラン・グライヨ、ボルドーの白ワイン造りに革命を起こしたドゥニ・デュブリデュ教授、ブルゴーニュの神様、アンリ・ジャイエ・・・・・。「彼らのやり方のいい部分を取り出して自分なりの醸造法を作り上げた。ドゥニからは醸造やクローン(分枝種)の選抜、アンリからはブドウの栽培という風にね。最も影響を受けたのはアンリだろうな。ワイン造りの哲学を教わった。導師のような存在だよ」と生前彼は語っていました。
ワイン造りを始める前はオートバイ・レーサーや犬ぞりレーサーとして世界を転戦するなど、エネルギッシュで人がまねできない生き方は、バージン・グループを率いるリチャード・ブランソン氏やアメリカでレストラン・チェーン「ベニハナ」を成功させた故ロッキー青木氏を彷彿とさせます。
またカリフォルニアのカリスマ的ピノ・ノアールの作り手であり、やはりアンリ・ジャイエ氏を信奉するオー・ボン・クリマのジム・クレンデネン氏もダグノー氏にそっくりです。これらの人たちはみんなボサボサの長髪にヒゲ面と風貌も似通っていますね。
『Parker’s Wine Buyer’s Guide』 (講談社)より 「ディディエ・ダグノーは明らかにこのアペラシオンにおける最良の生産者である。彼のワインは純粋で、豊かで、深みがあり、複雑さと凝縮味、そして注目に値する熟成能力を持っている。彼がこのアペラシオンにおいて、適度な収量を維持し、機械による収穫を避ける稀有な葡萄栽培者の一人であるということは驚きではなかろう。プイィは村の名であり、フュメは「煙」を意味する。世界中に名高いこのアペラシオンは、ソーヴィニョン・ブランから世界で最もわくわくするようなワインを生産している。それは、火打ち石のようで(煙のようだともいわれる)、土やハーブやメロンの香りのする、豊かな芳香を持った白ワインで、ミディアムボディからフルボディまでさまざまでる。 最近の最良のヴィンテージには、あと2~3年の間は十分においしく飲めるであろう壮大な1990年、あと5~7年の間が秀逸であろう1996年、あと2~3年のうちに飲むべき1997年がある。ついでに述べておくと、プイィ=フュメとすばらしくよく合う食べ物は、ヤギ乳のチーズである」 |
神の雫作者の亜樹直氏が朝日新聞紙上で連載していた「ノムリエ日記」にダグノーが死亡した時のことを書いています。筆者はダグノー急死の一報に接して、ダグノーのワインを探しまくって買い集めたそうです。
若き天才醸造家・ダグノーの死を悼む
2008年11月4日
この9月、私が偏愛するワイン生産者のひとりディディエ・ダグノー氏が、非業の死を遂げた。自家用の小型軽量飛行機で離陸しようとしたところ、エンジントラブルが発生。飛行機は炎上し、ダグノー氏は炎に包まれて亡くなったという。享年52歳。
このとんでもない事件をネット酒屋のメルマガで知った私は、仕事をぜーんぶ後回しにし、ダグノーのワインを探しまくった。もっとも手に入りにくいフラッグシップの『シレックス』、血統書つきサラブレッドという意味をもつ『ピュール・サン』、そして悪い噂という前衛的な曲の楽譜をラベルにデザインした『ブラン・フュメ・ド・プイイ』……。生産者が急死したとなると、そのワインは貴重品となり、いま買っておかなければもう簡単には買えなくなるだろうから、仕方ない。
私はこの日ダグノーのワインを1ダースほども買い集め、「これで当分は飲める」とほっとしつつも、一抹の寂しさをおぼえた。天才といわれたダグノーの次のビンテージを飲むことは、もう二度とかなわない――。
“プィィ・フュメの野性児”と異名をとるダグノーは、ワイン生産者だった父と折り合いが悪く、生まれ故郷のサン・アンドラン村を飛び出し、モトクロス・レーサーとして世界中を転戦したという。その後、なぜかワインの世界に舞い戻り、83年に自身のドメーヌを興す。彼のワイン作りは、その人となりを表すように、アグレッシブだ。有機栽培で完熟させた葡萄を50人がかりで収穫・選果し、ステンレスタンクで果汁を清澄させたあと、新樽、小樽などを駆使して発酵させる。また一部のワインは、発酵させたあとステンレスタンクに戻し、澱の上で寝かせたりもするそうだ。こうして生まれたワインは、同じプィィ・フュメの格付けでも、区画ごとに別々のキュベとして出荷される。例えばトップキュベの「シレックス」と「ピュール・サン」は、ワイン法では同じプィィ・フュメとなるが、値段も違うし、不思議なほど味わいも違う。このあたりもダグノー・ワインの面白さだ。
私がダグノーの名を初めて知ったのは、6年前、シレックスの下級キュベ「ビュイソン・ルナール」を飲んだ時だった。最初にびっくりしたのは、その華やかな香り。ふわっと香りのベールに包みこまれるようで、筆舌に尽くしがたい。飲むと強烈な酸と硬質なミネラルがあり、硬い造り。だが熟成すればスケール感のある、それでいて優雅なワインに化けることが予想できた。要するにトンデモなく美味いワインなのだが、これを造る醸造家が元モトクロス・レーサーの変わり者で、今は犬ぞりレースでチャンピオンにもなっていると聞いて、二度びっくりした。今回の急死にも驚かされたが、ダグノーはその生き方も含め、独創的でドラマチックな天才だった。
振り返ればこの数年は、偉大な生産者が次々と急死している。01年にはシャトー・クリネやシャトー・ボー・ソレイユを作ったジャン・ミシェル・アルコートが海で事故死。05年にはブルゴーニュの4ツ星ドメーヌ・ルネ・アンジェルの当主フィリップが、バカンス先のタヒチで、心臓まひにより49歳で逝去。06年には同じくブルゴーニュのスター生産者、ドゥニ・モルテが、50歳で拳銃自殺。そして今年、ダグノーの事故死……。
天才は早世するというが、醸造家も同じなのだろうか。私は貴重品になりつつあるダグノーのブラン・フュメ・ド・プイイを今日もしみじみと飲みつつ、偉大な造り手の若すぎる死を悼んだ。しかしこんな調子で開けてたら、せっかく買い集めたダグノーのワインも、一周忌までになくなりそうだなぁ……。
ラベル、キャップ、液面(コルク下1.5センチ)の状態は良好です。