説明
小規模生産者ながら、パーカー氏が★★★★★の評価を付け、市場を探し回る価値のあるものと、大絶賛しているのがこのアラン・ロベール!!
アラン・ロベールは、あの「サロン」や「クリュグ」とともに、シャンパーニュ最上の畑といわれるコート・デ・ブラン地区のグラン・クリュ畑「ル・メニル・シュル・オジェ」のシャルドネだけで造られている、まさに、シャンパーニュのスーパースターというべき逸品です。
残念ながらこの作り手には跡継ぎがいないということで1990年代には廃業してしまい、今のところ入手できるのは1979年、1985年、1986年、1988年、1989年、1990年くらいで、そのほとんどが入手不可のアイテムになっています。楽天で検索したところ唯一在庫があるのは1990年のレゼルヴのマグナムボトルで、価格は何と35万円超え!(2020年11月現在)
アラン・ロベール
「消えゆく伝統を守る最後の作り手」と称されるアラン・ロベールは有名なクリュッグやサロンと同じメニルの村に本拠地を置き、ネゴシアン主流のシャンパーニュ生産の中で、17世紀から400年近くに渡り自社の畑のブドウにこだわったレコルタン・マニュピュラン(RM)として際だった個性を発揮していました。生産量はすべて併せて11万本ほど。優しさと上品なフィネスをたたえた長期熟成型ブラン・ド・ブランを、時の流れを無視するかのように悠然と造りつづけたのです。
アラン・ロベールは世界中で理解者に恵まれたわけではありませんでした。ロバート・パーカーは、むしろ例外的に早くから最上の位置づけを与えているというべきで、一般のワイン評論家があまり関心を示さないのは、アランが誇り高くてPR嫌いなためばかりではありません。10年単位で仕事をする彼は、注文をうけてからおもむろにRD作業にとりかかり、しかもしばらく寝かせてから出荷するので、緊急の試飲の希望などには応じられなかったというのが真相のようです
アランの祖父は1947年に、ル・メニル在住のグローワーの組合を創設し、父ルネは協同組合のユニオンを作ったり、協同組合CRVCを創設したといいますから、ロベール家には不屈のグローワー魂が燃えているのでしょうか。またアランの奥方の実家は、3代にわたってル・メニルのクロ・タラン (5.5ha)で醸造長を務めていましたが、この畑こそ1972年にクリュグの所有に帰し、その一部がクロ・ドュ・メニルを名のるという因縁話があります。かつてアランは「シャンパーニュのロマネ・コンティ」たらんと志したとか。商才があればアランはシャンパーニュの歴史にもっと目立つ足跡を残せたかもしれません。
またアラン・ロベールは、メニル・シュール・オジェ村で最後まで樽醸造にこだわっていた数少ない造り手でした。サロンもピエール・ペテルスもステンレスタンク派になりました。温度や衛生の管理が難しい樽は1960年代以降、ステンレスタンクにとって代わられたのですが、廃業する直前の90年代まで樽にこだわって造り続けました。
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