説明
廃業して30年、もはやオークションに登場することすら超レアのアラン・ロベール・トラディション!
小規模生産者ながら、パーカー氏が★★★★★の評価を付け、市場を探し回る価値のあるものと、大絶賛していたのがこのアラン・ロベール!!
アラン・ロベールは、あの「サロン」や「クリュグ」とともに、シャンパーニュ最上の畑といわれるコート・デ・ブラン地区のグラン・クリュ畑「ル・メニル・シュル・オジェ」のシャルドネだけで造られており、まさに、シャンパーニュのスーパースターというべき逸品です。
残念ながらこの作り手には跡継ぎがいないということで1990年代には廃業してしまい、今のところ入手できるのは1979年、1985年、1986年、1988年、1989年、1990年くらいで、そのほとんどが入手不可のアイテムになっています。楽天で検索したところ全く在庫はありません。
わずか4ヴィンテージしか生産されなかった幻の『トラディション』!
廃業して30年近くが経過し、アメリカの有名オークションでもアラン・ロベールが登場することはほとんどなくなり、まさに幻のシャンパーニュです。中でも『トラディション』は最高の年にしか造られず存在するのは1979年、1985年、1986年、1990年の4ヴィンテージだけです。
ブルータス誌の80本ブラインド試飲でサロンやクリスタルを抑え、圧倒的高評価を集めた1990年トラディション!
2007年にブルータス誌上で行なわれた「最高のシャンパンを選べ!」特集において、超有名レストランのシェフソムリエら4人によるブラインド試飲で圧倒的高評価を得たのがこのアラン・ロベール1990年トラディションでした。サロンやクリスタルらも抑えて最高の5つ星評価を得ました。
「17世紀まで歴史を遡れる一族で、コート・デ・ブラン地区の特級ル・メニル・シュール・オジェ村にあるRM。この銘柄は同村の平均樹齢40年以上のシャルドネを使用し、1次発酵は小樽にて。10年以上に及ぶ瓶内熟成は、昔ながらにコルクで密栓して行なわれる。中本『モカ、バニラなどぐらすからひろがりでる香りに引き込まれていきそう。余韻にもずっと長くその香りが残る』、阿倍『蜜、キャラメル、ナッツなど熟成感豊かな香り。味わいのバランスがよく力強さがあり、果実味も酸もしっかり。余韻にコクを感じる』、佐藤『ハチミツ、ブリオッシュなどの香り。こまやかなミネラル感を伴う塩味を感じるので魚料理に合わせたい』
アラン・ロベール氏からのメッセージ
1990年の裏ラベルにはアラン・ロベール氏からのメッセージがフランス語で記載されていますので日本語に訳しました。
「この素晴らしい職業において、我々の後を継ぐであろうミレニアムの次世代のワイン生産者に捧げます。メニルの最高のテロワールの『グランクリュ100%』から、このテート・ド・キュヴェは収穫時に選別されたブドウで造られます。最初の圧搾液のみが残り、伝統に従って小さなオーク樽で熟成されます。9月24日に完成した1990年のハーベストでは最高のヴィンテージとして100,200本相当のボトルが生産されました」
アラン・ロベール
「消えゆく伝統を守る最後の作り手」と称されるアラン・ロベールは有名なクリュッグやサロンと同じメニルの村に本拠地を置き、ネゴシアン主流のシャンパーニュ生産の中で、17世紀から400年近くに渡り自社の畑のブドウにこだわったレコルタン・マニュピュラン(RM)として際だった個性を発揮していました。生産量はすべて併せて11万本ほど。優しさと上品なフィネスをたたえた長期熟成型ブラン・ド・ブランを、時の流れを無視するかのように悠然と造りつづけたのです。
アラン・ロベールは世界中で理解者に恵まれたわけではありませんでした。ロバート・パーカーは、むしろ例外的に早くから最上の位置づけを与えているというべきで、一般のワイン評論家があまり関心を示さないのは、アランが誇り高くてPR嫌いなためばかりではありません。10年単位で仕事をする彼は、注文をうけてからおもむろにRD作業にとりかかり、しかもしばらく寝かせてから出荷するので、緊急の試飲の希望などには応じられなかったというのが真相のようです
アランの祖父は1947年に、ル・メニル在住のグローワーの組合を創設し、父ルネは協同組合のユニオンを作ったり、協同組合CRVCを創設したといいますから、ロベール家には不屈のグローワー魂が燃えているのでしょうか。またアランの奥方の実家は、3代にわたってル・メニルのクロ・タラン (5.5ha)で醸造長を務めていましたが、この畑こそ1972年にクリュグの所有に帰し、その一部がクロ・ドュ・メニルを名のるという因縁話があります。かつてアランは「シャンパーニュのロマネ・コンティ」たらんと志したとか。商才があればアランはシャンパーニュの歴史にもっと目立つ足跡を残せたかもしれません。
メニル・シュール・オジェ村で、最後まで樽醸造にこだわった数少ない造り手
アラン・ロベールは、メニル・シュール・オジェ村で最後まで樽醸造にこだわっていた数少ない造り手でした。サロンもピエール・ペテルスもステンレスタンク派になりました。温度や衛生の管理が難しい樽は1960年代以降、ステンレスタンクにとって代わられたのですが、廃業する直前の90年代まで樽にこだわって造り続けました。
ラベル、キャップ、液面の状態は良好です。